海上挺進戦隊戦没者慰霊碑


 第二次世界大戦時、江田島町の北部、幸之浦という地区に旧陸軍の海上挺進戦隊「船舶練習部第10教育隊」の基地がありました。

 海上挺進戦隊とは、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし、陸軍からの選抜下士官、将校の精鋭によって編成された、250kg爆雷を積んだベニヤ製のモーターボート(四式肉薄攻撃艇 呼称”連絡艇”)で1艇を持って一隻を葬る、いわばボートによる特攻を行う部隊でした。

 幸之浦はその教育隊が置かれていた地。幸之浦の正面にある似島(にのしま)との間にある海域で訓練を行っていました。

 大戦末期にはフィリピンや台湾などにも派遣され実際に10数隻撃沈しましたが、戦死者は1636名にも及びました。

 原爆投下直後には、訓練を中止し、似島の検疫所へ100人、広島市へ約2000人が派遣されいち早く救助、捜索、また似島検疫所への応援にあたりました。これにより多くの隊員が入市被爆しました。

 今も残るのは、この突堤。石積の部分が、当時のもの。

 正面に見える島が、似島(にのしま)。この海域で若き兵士が日々訓練を積んでいた。

 今は平和な波間をたたえる広島湾だが、訓練を積んでいた兵士たちは、この平和な時代を待ち望んでいたことであろう。

 

※似島へは江田島からは直接行くことはできません。広島港宇品桟橋から似島行きフェリーで行くことができます。

マルレの模型(ふるさと交流館)

マルレと呼ぶが表記は「○レ」となる。艇の後ろに積んでいるのが250㎏爆雷。本来は船の近くまで行き、爆雷を投下し速やかに離脱するという目的だったが、末期にはこのまま体当たりした方がいいとの判断で、特攻となった。

 同じ目的の船が旧海軍にもあり、そちらは「震洋」と呼ばれる。震洋とマルレでは、艇の形も異なる。

 戦後編纂されたものだが、所属していた隊員たちがまとめた隊史

貴重な資料です。第27戦隊は、昭和19年10月に編成された隊です。