第二次世界大戦時、江田島町の北部、幸之浦という地区に旧陸軍の海上挺進戦隊「船舶練習部第10教育隊」の基地がありました。
海上挺進戦隊とは、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし、陸軍からの選抜下士官、将校の精鋭によって編成された、250kg爆雷を積んだベニヤ製のモーターボート(四式肉薄攻撃艇 呼称”連絡艇”)で1艇を持って一隻を葬る、いわばボートによる特攻を行う部隊でした。
幸之浦はその教育隊が置かれていた地。幸之浦の正面にある似島(にのしま)との間にある海域で訓練を行っていました。
大戦末期にはフィリピンや台湾などにも派遣され実際に10数隻撃沈しましたが、戦死者は1636名にも及びました。
原爆投下直後には、訓練を中止し、似島の検疫所へ100人、広島市へ約2000人が派遣されいち早く救助、捜索、また似島検疫所への応援にあたりました。これにより多くの隊員が入市被爆しました。